CULTURE

2020年12月4日

作家が紡ぐセルフプレジャー
第2回:こだま「しない選択」

「セルフプレジャー」をテーマに、作家が思いをしたためる連載「作家が紡ぐセルフプレジャー」。第2回目は、自身の体験を綴ることで、性や生きることについて向き合い続けているこだまさん。

※本文にはセンシティブな内容が含まれます。性被害のフラッシュバックなどの心配がある方は、ご自身の状態に注意してご覧ください。

 

 

二〇一七年に実体験を元にした『夫のちんぽが入らない』という本を出した。タイトル通り夫とだけ「できない」。性的な行為に限らず、まわりが難なくこなしているようなことが私には難しい。そういう話だ。

二十代半ばのある時期、出会い系サイトの男性と片っ端から会っていた。相手は誰でもよかった。特に日曜日。少しでも気を抜くと翌日の仕事が頭を過り、動悸が激しくなる。過呼吸になる。心身が少しずつおかしくなっていることに気付いていたけれど、立ち止まったら全てが崩れてしまいそうで、仕事、出会い系、仕事、出会い系で生き延びていた。
こんな話をすると「夫とできないから他の人を探していたのか」と勘違いされる。そうではない。私には元から性欲というものがない。したくないのに会うなんて他人からは理解しがたい行動だと思う。

昔から「その解決法はないでしょう」と諭されるような道ばかり選んでしまう。
知らない人とホテルに行くと、その時間は苦しいことを考えずに済んだ。帰宅して倒れこむように眠った。だけど、また一週間が始まる。その不安から午前三時には目が覚める。心臓の音がうるさくて眠れない。あわてて次の週末に会う人を決める。特別な感情を持ちたくないから、たいてい一回きりにする。どんな相手であろうと約束がある限りポケットに錠剤を忍ばせているような小さな安心を得られた。

性的なことに限らず、身近な人に自分の弱さを曝け出せなかった。職場で無能であることが明らかになる。次第に「居ない」ものとして扱われる。その虚しさが膨らんでいくたび、「性的に」という条件付きであっても誰かに必要とされている実感がほしかった。手っ取り早く認められたかった。
出会い系の人はわかりやすく「認めて」くれて、その場限りの関係で終わってくれる。その短絡的なところがよかった。道具のように扱われてもかまわなかった。楽になるための自傷行為だったのだと思う。
一時的だろうが私は相手の望む役割を果たしている。その歪んだ「肯定感」によって死なずに済んだことは事実だった。

自分は、おかしいのではないか。学生時代からそう感じていた。
私には身近な人と性的な関係になりたくないという強いこだわりがあった。
いくら好きでもキスはしたくない。近距離で顔を合わせるのもきつい。性器に触れたり舐めたりなんて絶対にしないでほしい。私は汚いから。臭いから。
この緊張を伴う拒絶はドラマのキスやベッドシーンを見ているときにも起こる。照れではなく、嫌悪感から思わず目をそらしてしまう。自分の息や唾液が相手にかかることについてどう思っているのだろう。想像すると落ち着かない。うっとり見惚れるという経験がない。
神経症の一種だとわかったのは、この数年だ。
好意を寄せる相手には、より強くこの症状が表れる。「そんなことしないで」と身体ががちがちに固まる。汚くない、臭くない。そう言われようと無理だった。
出会い系のような見ず知らずの相手とは、かろうじてできる。それほど苦痛を感じなかった。名前も知らぬ、二度と会うことのない人だと思えば精神的な負担が少ないのだ。

性的な行為を「汚い」と初めて思ったのは小学校低学年のときだった。中学生の従兄に背後から抱きつかれ、舌を吸われたり性器を触られたりした。どうしてそんなことをするのかわからなかった。嫌だ。汚い。気持ち悪い。それしか感情が湧かなかった。盆や正月に親戚同士で集まると、私がひとりになった隙を見て同じことをされた。恥ずかしくて誰にも言えなかった。現在も身の回りの人に話していない。
その件と、のちの性行為への不快感に直接つながりがあるのか自分ではわからない。思い出さないように蓋をしていたせいか、そんな出来事があったことすら最近まで忘れかけていたのだ。しかし、いったん思い出してしまうともうだめだ。確かにその体験は存在した。消しようがない。
私にとって性にまつわる行為は汚く、気持ち悪く、恥ずべきもの。
愛に満ちたもの、気持ちのよいものには一度もなってくれなかった。

セックスレスではなく、それ以前の問題として性行為が成立していない婚姻関係を「未完成婚」と呼ぶらしい。出版後、未完成婚をテーマにした取材も何度か受けた。そういう夫婦は私たちだけじゃないことも知った。肉体的、精神的にさまざまな原因が絡み合って生じるケースもあるという。
当時は予想を上回る自著の反響と目の前の仕事をこなすことで頭がいっぱいだったけれど、数年を経て落ち着いた今になって思う。
「未完成」ってなんだ、と。
子どもを持つ、持たないの選択があるように、セックスを全くしない夫婦が存在したっていいではないか。「するもの」という前提はなんなんだ。私たちは「未完成」な夫婦なのだろうか。急に疑問が湧いてきた。
ふたりの間では当初から「なきゃないままでいい」「今のままでいい」という考えだった。セックスをするのも、しないのも自由。「世間」に合わせたり比べたりするものではない。
ウィキペディアの「未完成婚」には、こう短く記されている。
「性交のないことを夫婦のどちらも不満に思わない場合は特に問題にはならない」
出典が明らかにされていないので誰の意見なのかはわからないが、私はこの一文に「理解者がいる」と安堵した。落ち込んでいた頃の自分に読ませてやりたい。

文章を書くことに没頭するようになってから、私は確実に変わった。誰かに認められたい。その気持ちを満たすのは出会い系サイトなんかじゃなくてよかった。そもそも人と接することが得意ではなかった。ひとりで黙々と打ち込めるものがあればそれでいい。

長い時間を要して私が手に入れたのは性に侵食されない静かな暮らしだった。
夫とキスをしない、手をつながない、セックスをしない。だけど、お互いを大事に思っている。そんな身体的接触のない日々は私に精神の安定をもたらす。若いうちにカウンセリングを受けるべきだったのかもしれないが、特に後悔はない。もう何も怖がらなくていい。硬直しなくていい。穏やかに過ごしている今が一番いい。
男と女ではなく、性を取り除いた人間と人間でいたい。夫とも、その他の人とも。世の中の「こうあるべき」を排除したら、自分や自分たちの望むかたちが見えてきた。
「入らない」ではなく「要らない」だった。

 

◾︎プロフィール
こだま
2014年に開催された「文学フリマ」において、同人誌『なし水』を求める人々が異例の大行列を成し、同書は即完売。そのなかに収録されていた短編作品「夫のちんぽが入らない」を大幅に加筆修正し、2017年に初の著書『夫のちんぽが入らない』(扶桑社)を上梓。『ここは、おしまいの地』(2018年、太田出版)で「第34回講談社エッセイ賞」を受賞。近著に続編となる『いまだ、おしまいの地』(2020年、太田出版)がある。
Twitter:@eshi_ko

 

 

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