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『青野くんに触りたいから死にたい』漫画家・椎名うみが語る、欲望の扱い方

 

社会で生きていくには「他者」の存在が不可欠です。他者と生きていくことは苦悩を伴うものですが、変えられない喜びを感じることもあります。

 

今回登場いただくのは、講談社『月刊アフタヌーン』にて『青野くんに触りたいから死にたい』を連載中の、漫画家・椎名うみさん。物語は、主人公・刈谷優里の初めてつき合った大好きな彼氏「青野くん」が、交通事故で死んでしまうところから始まります。絶望していた優里の前に、青野くんが幽霊となって現れますが、決して触れることはできない。そんなふたりは、試行錯誤し、ときに禁忌を犯しながらも交わろうとして……。

 

衝撃的な展開でありながら、漫画内でときおり登場する性描写は、心やカラダを超越した「特別なもの」として描かれています。作者の椎名さんは、「性愛」や「他人と交わること」についてどのように考えているのでしょうか。お話をうかがいました。

 

椎名うみ
2014年、『月刊アフタヌーン』の「四季賞2014秋」にて、読み切り作品『ボインちゃん』が四季賞を受賞。2016年には『good!アフタヌーン』で読み切り作品『セーラー服を燃やして』『崖際のワルツ』を発表したのち、アフタヌーンで『青野くんに触りたいから死にたい』を連載開始(現在単行本を7巻まで発売)。2017年には初の短編集『崖際のワルツ 椎名うみ作品集』を発売した。※すべて講談社発行

twitter:@shinaumin @aonokunnn(公式)

 

恋愛と性欲は、もともとセットだと思っていた

──『青野くんに触りたいから死にたい』(以下、『青野くん〜』)では、主人公の優里が自身の性欲を包み隠さず青野くんに伝えたり、積極的にセックスをしようとしたりする描写がたびたび登場していることから、「性愛」が重要なテーマではないかと推察しました。なぜ、こうした物語を描かれたのでしょうか?

 

椎名:恋愛のかたちは人それぞれですが、私にとって、「恋愛と性欲はセット」だったからです。初恋をしたときは、相手に対して「つき合いたいなー」と「やりたいなー」を同じくらい思っていました(笑)。だから、恋愛を描くなら、性愛要素も必然的に入ってくるというか。

 

『青野くん〜』はもともと自分のTwitterに投稿していた短編漫画でした。それを商業誌で連載することになったんですね。でも、私は恋愛経験が少ないし、漫画家として恋愛漫画を描くのも初めてで、正直どうしよう、と悩みながら、過去の自分を振り返りつつ描いています。

 

優里と青野くんが初めて出会うシーン。優里は瞬時に青野くんに恋する
©︎椎名うみ / 講談社

 

──優里は、キスしたいとか、触りたいとか、自身の気持ちを率直に伝えています。理性もあるけれど、自分の気持ちに素直に従って突き進む強さを持ったキャラクターですよね。

 

椎名:一見、青野くんが理性、優里が本能に従ったタイプに思われがちですが、これまでの物語を振り返ると、ふたりとも「自分はこうすべきである」という倫理観や義務感を大事に動いています。

 

彼らは、本質的に「善性」なんです。でもそれは、ときに自分と他人を追い詰めてしまうこともある。倫理観や義務感みたいな絶対的な正義には、いい面と悪い面がありますよね。ふたりがそれらとどう向き合って昇華するのか、というのが物語の根幹。優里も青野くんも、じつはよく似ているんです。

 

死んでしまった青野くんのあとを追い、自殺をしようとする優里と、それを止める青野くん
©︎椎名うみ / 講談社

 

──第6巻で、優里の「好きな人の心の隣に座りたいのに、その心を見失って足でうっかり踏み潰すの」という台詞があります。相手のことを想ってしたことが、じつは傷つけてしまうこともある。絶対的ないい・悪いは存在せず、せめぎ合うことを表しているのでは、と。

 

椎名:私自身は、どちらかというと性善説みたいな感じなんです。私は、人間って基本的には人に優しくしたいんじゃないかと思っています。でも、なかなか優しくできないし、傷つけてしまうこともある。それは、健康や精神や経済状態などに余裕がないからかもしれません。自分に余裕がなくなると、かなぐり捨てて行動してしまうから。

 

青野くんのためを思って自身の瞳を生贄に捧げるが、それにより彼を傷つけてしまい、後悔する優里
©︎椎名うみ / 講談社

 

「性欲に規範がある」と思うから、息苦しくなる

──倫理や義務と、欲望のバランスはとても難しいですね。倫理を優先すると欲望を閉ざしてしまいそうですが、優里は両極の狭間で揺れながらも自分の気持ちに素直です。椎名さんは、「欲望」とのつき合い方についてどう思われますか?

 

椎名:難しいのは、欲望の多くは「暴力性」が伴いますよね。それはわかりやすく手が出ること以外にも、言葉や行動、視線など。手段はさまざまですが、誰かが傷ついてしまったら、そこに暴力が発生したのだと認識しています。そして、暴力は受けた側だけでなくふるった側も傷つくように思います。

 

──殴られた側だけでなく、殴ったほうも傷つく。

 

椎名:はい。人生のなかでたまに暴力が発生したとき、その暴力をふるった相手を見ていると、そんな感じがするんです。ただ、そのときの暴力的な欲望や発生した感情自体は、善悪に関係なく肯定していいと思っています。肯定していいけれど、「したいという気持ち」と「実際にすること」を切り離すことが大切ではないでしょうか。

 

──なぜ、その気持ちを肯定していいと思ったのですか?

 

椎名:私の感覚ですが、自分の気持ちを肯定することで、その欲望がいつの間にか成仏することってあると思うんです。むしろ、無理に抑えつけてしまうことでいつまでもしぶとく残ってしまう。自分の気持ちを否定することは、自分に対する暴力なので。

 

ただ、「嫌いだと思ってもいい」「殴りたいと思ってもいい」と欲望を肯定したからといって実行するかは、別の問題ですけど。

 

──たとえば、女の人が自分の性欲を積極的に表現することは、社会的に「よし」とされない風潮があるように思います。社会的な尺度から、自分の気持ちを否定してしまうこともありますよね。

 

椎名:そういう空気はたしかにありますね。そのことについては、「女性が性欲を持ってはならないのではないか」という話と、「男の人は自分に性欲がないことを言いづらい」という話、ふたつをセットにして考えたいですね。私たちは、欲望には正解・不正解という「規範」があるように考えがちです。しかし、そう思い込んでいることが、私たち自身を苦しめているのではないでしょうか。

 

本当は、性欲に関する規範なんてないですよね。「恋人になったら、セックスしなければいけないんでしょうか」という手紙を読者の方からもらったことがあるのですが、私は、したくないならしなくていいと思います。一緒に水族館に行ったり家で寝転んで昼寝をしたり、ふたりで楽しいことなんていっぱいあるじゃないですか。カップルの数だけかたちがあるものだから、人と違うことで人格が否定されることは一切ないと私は信じています。自分が思うままに、いてほしいです。

 

──そのとおりですね。ただ、カップルの場合はお互いの欲求がぶつかり合う場合もあります。相手を慮りつつ「思うがままに」過ごすためには、どうすればいいのでしょうか。

 

椎名:相手の気持ちを推し量りすぎると、自分が「サンドバック状態」になってしまいます。暴力は、どんなかたちであれ、したほうもされたほうも傷つくもの。だから、発生は阻止しなければならない。相手や自分の気持ちは肯定するけれど、暴力をされそう、しそうになったら拒絶することが大切ではないでしょうか。勇気を出して相手を拒絶することは、ときに、大切な人を守ることにつながるはずです。

 

夢のなかで青野くんにカラダを喰われてしまった優里が青野くんから逃げ出し、彼を愛しく思う気持ちと辛さのなかで葛藤するシーン
©︎椎名うみ / 講談社

 

──優里が青野くんに対して「守りたい、助けたい」という気持ちと、「でも私は痛かったんだ」という自分の気持ち。ふたつの感情を行き来していることが、『青野くん〜』シリーズの面白さではないかと感じました。

 

椎名:ありがとうございます。たとえば「嫌い」という気持ちが強いと「好き」が消えてしまうような気がしますよね。でも、相反する感情というのは同時に存在するもの。私はそれを肯定したくて描いているのかもしれません。

 

愛と倫理と理性が揃って、平和な状態が生まれる

──椎名さんは、他者と交わるうえで何が大切と考えていますか?

 

椎名:最近は、答えよりも経験やそれにともなう感情が大切なのかなと考えていて。だから、他人にもそう接するといいのかもと思いました。たとえば、Aさんが困っていて、Bさんはその解決策を知っていたら、たぶんBさんはAさんに答えを教えたくなりますよね。でも、私は答えそのものには、あまり価値がないと思うんです。「どうしよう」と悩む感情も、考えを巡らせる時間も、大切なその人個人から発生したことだから、尊くて、マイナスなことではないのかな、と。その答えに行き着くまでの思考と、伴う感情を自分自身で経験することが大切で。Bさんは心配かもしれないけれど、他人にできることは、相手の気持ちをひたすら肯定して、寄り添って、応援することだけなんですよね。

 

──椎名さんの作品には、前提として、「他人とは一生わかり合えない」という想いがあるように思います。だからこそ性愛のシーンが光って見えるのかもしれません。わかり合えないのに、それでも他者と交わりたいと思うのは、どうしてだと思われますか。

 

椎名:ひとつになるときって、とろっとろに溶け合ってしまうような感覚で、すごく気持ちよくないですか(笑)? だから、無理してでも交わりたくなるのかも。水と油もシェイクすると溶け合うけれど、時間が経つと分離する。人間同士もそんなふうでいいんじゃないかなと思います。

 

好きな人とひとつになるって、じつは暴力的なことだと思うんです。快楽に誘惑され、浸り続けてしまうと依存性も高くなります。一人で立てない状態になることは危険ですよね。気づけば自分がなくなって、自尊心を傷つけてしまうこともある。交わること自体を否定しないけれど、自分をなくさないようにあってほしいです。

 

──相手を尊重しつつ自分を律することが、「相手を大事にする」ことにつながるのですね。ところで、他者と交わるうえで「愛」は必要不可欠だと思うのですが、最後に、椎名さんが思う「愛」を教えてください。

 

椎名:最近思うのは、「愛は善の万能薬ではない」ということです。「愛と平和!」とか言って、愛があればなんでも乗り越えられるみたいに考えがちじゃないですか。でも、みんなが尊重されて、平和な状態をつくりたいときに、愛だけでは足りないはず。「あなたを思っているから」と言って、愛を押しつけることは、ときに暴力へとすり替わることもある。

 

だから……、愛と倫理と理性がすべて揃って、初めて、平和な状態が生まれるように思います。愛だけでは暴力的な状態になりうるし、倫理と理性だけでは誰かを断罪して、追い出してしまう可能性がある。『青野くん〜』でいうと、藤本くん(青野くんの親友)は、正義感からときどき人を裁こうとします。彼の振る舞いに乱暴さを感じる人もいるのではないでしょうか。

 

優里の家族は自分にひどい仕打ちをする。それに対し、藤本がかけた一言
©︎椎名うみ / 講談社

 

椎名:ただ、愛があって、倫理と理性がない状態も、倫理と理性があって、愛がない状態も、「欠けている」とは思いません。「偏っている」のだとは思うのですが。愛と倫理と理性が全部そろっていて、偏ってない状態って、すべてが調和している平和な状態ですが、24時間平和でなくてもいいかなって思います。平和も偏りも同じように魅力的に感じます。

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